ここで、学校法人帯広葵学園の沿革に間違いがありましたので訂正をしておきます。この間違いに気づいたきっかけは、昭和51年3月10日発行の帯広市史(615ページから616ページ)です。少し後戻りしますが、当時の帯広市幼児教育事情を知る上で参考になりますので、幼稚園のカ所を全文紹介してみます。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28.幼稚園 戦前から存在した市内の幼稚園は二つある。ひとつは、東四条南十丁目の双葉幼稚園である。大正十一年一月認可であるが、同園の創立は明治四十四年五月にさかのぼる。聖公会牧師大井浅吉が、東一条九丁目の会堂別館に創設したものであるが、前記認可を得て大正十二年四月現在地に新築移転した。
いまひとつは帯広幼稚園であるが、昭和十一年四月認可創立。本派本願寺帯広別院が東二条南五丁目の境内に建てたものである。
戦後、三十年頃から四十年代はじめにかけ、相次いで幼稚園が開園した。以下年代順に園名、認可年月、所在地を列記する。
〇宗教法人帯広藤幼稚園 二十九年九月 東四条南十丁目 〇学校法人帯広大谷幼稚園 三十一年四月 西五条南二十丁目 〇宗教法人帯広東幼稚園 三十二年四月 東三条南七丁目 〇学校法人帯広聖公会幼稚園 三十三年十月 西八条南十二丁目 〇宗教法人帯広カトリック幼稚園 三十七年九月 柏林台中町一丁目 〇学校法人つくし幼稚園 四十一年十一月 南町南六線二十六番地 〇学校法人ひまわり幼稚園 四十三年一月(※所在地の記載がありません) 〇学校法人いずみ幼稚園 四十三年十二月 東十条南十三丁目 〇学校法人葵南幼稚園 四十三年十二月 空港南町二十一番地
ほかに無認可の葵幼稚園が四十年四月から東五条南八丁目に開園しているが、これは三十九年以降、学校法人組織以外に認可しないという道(国)の方針に合致していないからである。
かくして、昭和四十八年四月一日現在における市内就園児の数は、無認可九十八人を加え一千六百一人となり、推定就園率は、五歳児推定総数二千四百七十六人に対し六四・七パーセント。それに常設(四百三十一人)・へき地(八十五人)・季節(八十二人)の各保育所(※本編社会福祉事業編に詳述)の入所児六百九十八人の入所率二八・二パーセントを合わせるなら、九十二・六パーセントが何らかの幼児教育を受けている現状となる。
こういった就園率の高まりは、とりも直さず教育に対する市民要求の高まりであり、市議会でも幼童教育の充実が叫ばれるようになった。市は、認可幼稚園に対し、四十六年度から教材費補助、四十七年度から就園奨励費を出すなどの助成措置をとっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上ですが、ここで昭和51年頃の葵幼稚園がなぜ無認可扱いになっているか等に疑問を持たねばなりません。その理由は、次回に述べることにします。 |
|
|