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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第35楽章 ―幼稚園教育と時代の変化―

 昭和58(1983)年は、北海道私立幼稚園協会十勝支部が発足した年でした。上部団体となる北海道私立幼稚園協会の歴史は、昭和26年に遡ります。北海道の私立幼稚園は、その当時単独での組織づくりではなく、既成の北海道私学連合会にそれぞれが加盟し、その中に「幼稚園部会」をつくり、その部会が日本私立幼稚園連合会に加盟する手続きを選択しています。

 ちなみに、昭和26年とは、「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。」とした『児童憲章』が制定(5月5日)された年です。

 さて、先の「幼稚園部会」は、昭和35年に北海道私学連合会から分離し、「北海道私立幼稚園連合会」を結成します。昭和45年には社団法人として人格を持ち、そして昭和59年には組織の強化を念頭におき現在の13支部を構成員とする北海道私立幼稚園協会が誕生したのでした。

 よって、冒頭に述べた「十勝支部」は、それまで十勝に私立幼稚園関係の組織がなかったのではなく上部組織の流れに沿って統廃合されてきたと理解すべきでしょう。

 一方、この組織の変遷は幼児教育そのものの進展につながる議論の変遷に裏付けられたと言えそうです。幼児教育の現場では、昭和31年から第一次教育要領が用いられますが、それまでは、昭和23年に刊行された「保育要領−幼児教育の手びき」を用いてきました。

 この要領は、幼稚園・保育所・家庭における幼児教育の手引きとして刊行されたもので、保育の内容を「楽しい幼児の経験」として12項目に分けて示しています。昭和31年の第一次教育要領は、「経験」という抽象的ではなく、教育課程の基準として大綱化を図る観点から「保育要領」の全面改定を行ったものでした。そして、昭和39年の第二次改訂と繋がります。この流れは、いよいよ日本の幼児教育がより専門分野としての世界を持つようなった理解すべきと思います。

 身近な話題です。昭和58年、十勝初の保父さんが誕生しています。その園は、あじさい保育園ですが、当時の葵幼稚園(平成10年3月閉園)にはすでに男先生がいました。市内幼稚園の沿革を見れば、幼稚園教諭経験の男園長先生もいます。少しずつ、幼稚園も保育園も何かが変わり始めた昭和58年だったのです。
昭和58(1983)年5月1日 十勝毎日新聞


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