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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第34楽章 ―園児数減少傾向へ―

 昭和57(1982)年は、帯広市が開基100年を迎えた年でした。昭和8(1933)年、帯広は市制を敷きました。それからちょうど50年という記念すべき年でもありました。緑ヶ丘公園にある帯広百年記念館はこの年に誕生したことは言うまでもありません。

 更に、帯広教育史を紐解けば3月15日新帯広給食調理場完成、4月1日花園小学校開校の文字を見ることができます。

 このような中で市内幼稚園の状況を見てみると、市内全幼稚園児数は3,098人で内帯広源照学園(現帯広葵学園)経営する葵幼稚園と葵南幼稚園の園児数は合わせて531人です。翌58年には545人と増えますが、市内全体としては園児の減少傾向は静かに忍び寄ってきていたのでした。

 手元にある資料を基に紹介すれば、昭和39年の帯広市全体の幼稚園児数は1,281人でした。10年後の49年は2,403人です。そして昭和54年には3,017人と3,000人台になり翌55年には3,164人となりますがここが頂点となってしまいます。昭和60年には2,930人と3,000人を割ります。

 帯広源照学園は、昭和39年に9人の葵幼稚舎から始まり、10年後の49年には二つの幼稚園を経営し園児数は185人、57年には531人と推移しますが、この500人台を維持できたのは昭和54年から58年まででした。 それから3年間は平均470人の幼稚園経営でした。

 昭和57年の帯広市の幼稚園児事情を年齢別に見ると、そこに一つの特色を発見します。それは3年保育です。従前の幼稚園は、年長と年中を中心とする2年保育が主流でした。それが、昭和54年に市内幼稚園の数が14から15と一つ増えます。それと比例するように、市内幼稚園の園児数が3,000人台にのぼり、内3才児は92人です。その数が57年には205人に増えます。総数は3,098人。4才、5才は横ばい状態ですが、3才は増える一方です。この傾向を見て市内の各幼稚園は、3年保育を充実させて園児確保に鎬を削ることになるのでした。

 さて、この年、札幌で日本私立幼稚園教育研究全国大会が開かれました、テーマは「私たちは、はたして幼児の実態に対応して保育しているか」でした。


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