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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第31楽章 ―源照学園の新しい試み―

 昭和54年の帯広の幼児教育事情は、15番目の「第二ひまわり幼稚園」が開園したこともあり市内全体の園児数が初めて3,000人を超え3,017人となっています。前年比161人の増ですが、この中で、源照学園の伸び率は目を引くものがありました。

 当時、源照学園は二つの幼稚園を経営していました。その葵幼稚園は、前年度の159人を60人伸ばして219人、葵南幼稚園は前年度233人を54人伸ばして287人となっています。総数では114人増えて506人と初めて500人台にのせています。

 観点を変えて、市内の保育園、幼稚園の設立状況を見れば、昭和52年から54年までの間に幼稚園は3カ所、保育園は2カ所になっています。受入体制づくりが市政の緊急課題であったことが容易に見えてきます。

 そんな中にあって源照学園は、自園の保育体制を整える目的も含め新しい試みに出ます。それが、近畿大學豊岡女子短期大学の連携校になることでした。当時の新聞を見るとその狙いを、「幼稚園教諭や保母を養成するばかりではなく、母親らに幼児教育についての知識を身につけていくうえでも通信教育が利用できるよう連携校を引き受けることにした」(阿部理事長)と説明しています。

 そもそもこの連携校は、同じ市内にある学校法人帯広堀学園が経営する帯広文化専門学校が連携校となり、家政科の地区指導を受け持っていました。しかし、堀学園は、全国的に和裁、洋裁を学ぶ志望者が減る傾向にあったため事業縮小を考えていたようです。

 一方、源照学園は幼児教育に対する関心が高まる傾向にあるものの、肝心の幼稚園教諭や保母の確保が難しい状況にあったこともあり、葵幼稚園を会場校として堀学園からこの事業を継承することにしたのでした。

 実際に、募集人員50人中12人を源照学園の幼稚園助手として雇用し、幼稚園で働きながら学び幼稚園教諭の資格が取れるようにしています。但し、この選択は、幼児教育・保育へのニーズに体制がついていけなかった頃の苦肉の策と映らないでもありません。


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