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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第28楽章 ―幼児教育に回りでは………。―

 昭和51年、52年の幼児教育の環境にはそれまで見られない動きがありました。それは、今後の入園状況の推測に基づくものでした。つまり、50年時と比較して幼稚園に入園を希望する子どもたちが、これからは大幅に増えると容易に予測できたのです。

 それは、実際の統計を見れば分かります。昭和50年、帯広市内の幼稚園児は2,393(251)名です。昭和55年は3,164(578)名です。〔※(  )は葵幼稚園と葵南幼稚園の合計数〕なんと、5年間で771名増えています。葵学園グループに至っては、2園で327名も増えています。

 昭和50年と比較して倍以上の増です。ちなみに、昭和55年の数字は、市内幼稚園に通う子どもたちの18.2%は「葵の子」です。

 しかしながら、この状況はある日突然降ってわいた話ではありません。出世数を見れば予測できる話です。当然、新しい幼稚園の建設ブームが起きてきます。帯広市も例外でありませんでした。十勝日報からその動きを紹介します。

 1. 昭和51年11月28日 西いずみ幼稚園 認可望む声増大
 2. 昭和51年12月22日 市内西いずみ幼稚園 市も内部検討
 3. 昭和52年01月13日 幕別町に幼稚園 幕別葵幼稚園
 4. 昭和52年02月12日 認可の公算強く 西いずみ幼稚園
 5. 昭和52年04月06日 幕別葵幼稚園 開設、大幅に遅延か
 6. 昭和52年07月30日 帯広東幼稚園 園舎の新築始まる
 7. 昭和52年09月17日 全室にテレビ 清水 二つ目の幼稚園建設
 8. 昭和52年09月29日 「わかば幼稚園」認可 市内で14番目

  といった具合です。実に多くの幼稚園が様々な動きをしています。

  ところで、昭和51年は全国的に見れば日本で幼児教育が始まってちょうど100年が過ぎた年です。昭和22年から24年まで生まれた子どもたちを称して第一次ベビーブームと言います。その世代の子どもたちが第二次ベビーブームをつくったのです。

  視点を変えて世の中を見れば、昭和51年は、歌「およげ!たいやきくん」が流行り、酒田市で1,200棟を焼く大火のあった年でもありました。

昭和51年12月22日 十勝日報より


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