本文へスキップ

      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

電話でのお問い合わせはTEL.0155-23-7604

〒080-0022 帯広市西12条南17丁目3


学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第26楽章 ―総園児数300人超える―

 法人が二園経営の体制になって八年目にあたる昭和51年で、源照学園の総園児数は318人となりました。前年度より67人の増です。帯広市内全体の私立幼稚園はどうかといえば、前年2,393人だったのが昭和51年は2,504人です。111人の増です。当時、帯広市内には12の私立幼稚園がありました。この12の幼稚園全体の増加分が111人であり、そのうちの67人が葵幼稚園と葵南幼稚園で占めたことになります。

 さて、全国的に見れば昭和51(1976)年は、幼児教育百年を記念する年でした。明治9年1月、「幼稚園上ノ巻」(桑田親五訳)発行、6月2日、「東京女子師範学校附属幼稚園保育法」等の審議を決定、11月16日、東京女子師範附属幼稚園を開園し日本の幼児教育は始まったのでした。帯広市の幼児教育はそれから35年後の明治44年双葉幼稚園(大井浅吉園長)の開設が始まりとなります。

 昭和51年1月28日、帯広市幼童教育振興会(佐藤義雄ひまわり幼稚園理事長 加盟十二園)は、設置者・園長会議を開きすでに納入してもらっている保育料を年度の途中ですができるだけ早く約10%程度値上げすることを決めています。月額にすると保育料は九千円前後となりますが、最低でも八千八百円にしようと決めたのですから、当然、保護者からの異論がでてきます。

 昭和51年10月17日、帯広市議会の総務文教委員会は、帯広市私立幼稚園連合会(後藤和子会長)から出された「私立幼稚園の父母負担軽減について」とした請願を審議し、「低所得者への配慮が必要だ」として全会派一致で採択をしています。問題は、この議会の決定を行政がどう受け止めてくれるかが重要になる訳です。

 このようにお金に纏わる風が帯広市内を吹く中でも、葵幼稚園では「鬼は〜外、福は〜内」節分の豆まきの声は元気に響き、一日入園、運動会、お遊戯会といつもの日程をこなしています。

 そんな中で、新年度の園児募集が始まります。12月1日が受付開始日です。保護者は「狭き門」と思い徹夜組も出た幼稚園もありますが、一方では空席で応募を待つ幼稚園もあると十勝日報は伝えています。記事の中には、六園の名前があり「葵幼稚園は二年保育あと10名」となっています。


子ども子育て新制度について… 新情報はこちらをクリック!