昭和49年の日本は、こどもたちの間で「仮面ライダー」の"へんしーん"が大流行した年でした。野球少年にとっては泣き腫らした子もいたであろう、"ミスター・ジャイアンツ"長嶋茂雄が引退しています。
帯広を振り返ってみれば、第6代市長に田本憲吾氏が就任し、西3条南9丁目に立体駐車場とバスターミナルを中心とした交通センターが竣工しています。教育関係では第八、大空中学校が開校した年でもあります。人口は15万人には満たなかったが1年間で約2千人も増える時代でした。
このようにいわば右肩上がりの時代でもあり、当然"働くお母さん"も増えることになり、そのための支援策として保育所の増設要望も強くなってきます。保育所の増設は私立幼稚園の経営を圧迫することになります。幼稚園関係者は保育料などの値上げと市からの補助金アップに経営安定の道を模索することになります。当時の十勝日報がそれを裏付けてくれます。
1.昭和49年09月18日 保育所増設 幼稚園を圧迫 昨年は大幅アップも市内の私立幼稚園 市に補助を強く要望 2.昭和49年10月09日 経営ピンチの幼稚園 人件費や教材アップも 補助も"焼け石に水" 帯広市議会 保育料補助新設など私立幼稚園「父母負担軽減」採択 3.昭和49年10月26日 定員ちょっぴり増加 帯広市内の幼稚園 来月20日から受け付け 4.昭和49年11月07日 私立幼稚園 入園料最低二万円に 保育料は検討中 "大幅アップ"必至の情勢
これが、十勝日報の見出しです。
記事中には、「保育所増設の要望は強い。市としては本年度、テストケースとして乳児対象の家庭乳児保育室を設置する。(幼稚園側の)実情はわかるが、現状では増設を進めていかざるを得ない。」と、田本市長のコメントが紹介されています。
保育所と違い設置責任者ではない行政が、私立幼稚園の人件費の補助はできない制度上どうしようもない現実もあったのです。
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昭和49年9月18日付 十勝日報 |
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