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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第23楽章 ―新たな出発―

 昭和48年11月、学園に大きな人事異動がありました。理事長の交代です。初代理事長の大高源照氏から阿部勝治氏に代わっています。大高氏は園長職に専念することとし、2代目理事長阿部勝治氏を中心に幼稚園経営が始ったのでした。この人事異動には、園児数の確保が難しいとする事情が裏側にあったのです。

  昭和48年当時、学園は二つの幼稚園を経営していました。葵、葵南幼稚園合わせての園児数は245名でしたが、昭和49年は185名と60名の減となってしまいました。

 帯広市の要覧を見ると、昭和47年の市内幼稚園の全園児数は2,092人、48年は2,362人、49年は2,403人と増加傾向が明らかにあったのです。学園は園児減です。何らかの手を打たなくてはなりません。それが経営陣の刷新でした。これが、学園の創設期から拡大期への移り変わりの予兆となったのでした。

 昭和49年の十勝日報は市内幼稚園関係の記事を23回載せています。うち葵幼稚園と葵南幼稚園は6回です。日付順に見出しを紹介しましょう。

 1.昭和49年02月02日
    かわいい鬼さん 葵幼稚園 豆まきで大はしゃぎ
  2.昭和49年03月12日
    ‟もうすぐ幼稚園ネ“葵幼稚園 一日入園歓迎会開く
  3. 昭和49年05月10日
    かわいい手で‟甘茶“ 帯広葵幼稚園で花まつり
 4.昭和49年06月28日
    旧大正建物使用を 葵南幼稚園 園舎拡充で市に陳情
 5.昭和49年11月19日
    舞台に元気いっぱい 葵南幼稚園 歌と遊ぎの会開く
 6.昭和49年12月20日
    キネは重たくナ 葵幼稚園でおモチつき

となっています。しかし、当時の帯広市内の私立幼稚園には園児増にも関わらず経営面では緊迫状態にあったのでした。

昭和49年6月28日付 十勝日報


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