第16楽章で、宗教法人で始まった葵幼稚園が学校法人に変ったのは昭和44年だったと紹介しました。それは少し違っていたことが分かりましたので、ここで訂正しておきます。
正しくは、昭和43年11月8日付けで当時の理事会は「学校法人帯広源照学園」(設立代表者 大高源照)の認可を受けるための「寄付行為」の申請を北海道知事に申請しています。その申請が、同じ年の12月25日付けで認められたのでした。(「学事第1120号指令」) |
「学事第1120号指令」 |
さて、ここで考えられることは昭和44年3月に「葵幼稚園」を卒園したこどもたちは「学校法人帯広源照学園 葵幼稚園を卒園したことを証する」とした卒園証を手にしていることになります。「〜なります」としたのは、それを明白に示す記録がないからです。でも、ほぼ間違いはありません。
昭和44年4月、学校法人帯広源照学園は市内大空町に「葵南幼稚園」を開園しています。もちろん、葵南幼稚園の設立認可は前年(昭和43年12月16日)におりています。定員は140人でした。
この章は、第16章で書いた内容を補足するのが目的です。よってここまでの説明とします。 |
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