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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第14楽章 ー葵の園児113名ー

 帯広市の市政要覧(昭和44年度版)によれば、昭和43年5月1日現在、帯広市内の幼稚園は9園で1,627名のこどもたちが通園しています。うち、葵幼稚園には113名のこどもたちが通園しています。
 手元にある資料で比較すれば、昭和32年5月1日現在の幼稚園数は5園、総園児数は740名ですから、いずれも約倍の伸びといえます。当然、教員の数も28名から63名に増えています。
 北海道全体ではどうかといいますと、残念ながら昭和32年の数字はありませんが、葵幼稚園が開園した昭和39年が32,667人、昭和43年が43,408人です。

 当時の十勝日報の記事を頼りに葵幼稚園の様子を紹介します。

○昭和43年2月1日
 午前11時に園児代表が年男や先生が鬼になり節分式を行い、元気に豆まきの行事をしています。十勝日報の記事は、帯広幼稚園も同じ行事を同じ日時で行ったとし、二つの幼稚園が一緒の記事になっています。

○昭和43年8月25日
 午後3時半に葵幼稚園の姉妹園「葵南幼稚園」の起工式を行っています。場所は帯広市空港南町(大空団地)です。施工業者は千葉建設と記事にあります。完成は11月末の予定で昭和44年4月開園に向けて工事が急ピッチで始まったのでした。

○昭和43年11月16日
 午後1時から葵幼稚園の「歌と器楽と遊戯の会」が、帯広市市民会館3階大ホールで開催されています。会場は保護者でいっぱいになったのはもちろんですが、年少児が器楽演奏をしたと記事は伝えています。そして、年中、年長児たちは「インディアンのこども」の遊戯、「夕焼け赤とんぼ」の器楽演奏で会場は湧きあがったと報じています。

昭和43年8月27日付 十勝日報の記事

昭和43年11月18日付 十勝日報の記事
 さて、昭和43年とはどういう時代であったといえば、帯広では数年前から特に大正・川西地区の小学区の統合が始まっていましたが、この年は幸福小学校が大正小学校に統合させています。話題としては、作家川端康成が日本人で初めてノーベル文学賞を受賞しています。


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