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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第9楽章 ー初めての卒園式ー

 葵幼稚舎の第1回卒園式は昭和40年3月でした。
 何日かは特定できません。資料として手元にあるのは1枚の写真だけです。葵幼稚園の卒園名簿もありますが、日付までの記載はありません。ただ、記録写真から推察できることは卒園した子どもの数は5名だと言えます。それは、卒園証書の入った筒を持っている子どもが5人真ん中に移っているからです。
 もう1つの発見は、他に7人子どもが写っています。これは9人で迎えた初入園式でしたが、その後5人の子どもが入園している証ではないかと思われます。
 このことが大きな要因になったかどうかは定かではありませんが、昭和40年4月から「葵幼稚舎」は「葵幼稚園」に呼び名を変更しています。よって5人の卒園児は葵幼稚舎の最初で最後の卒園児ということになります。

昭和40年3月第1回卒園式
 昭和40年4月、葵幼稚舎は葵幼稚園と呼び名を変えて2年目のスタートを切ります。園児数は46名に増えています。
 昭和40年5月1日現在の統計を参考にすれば、当時帯広市内には7つの幼稚園がありました。総園児数は1,437人です。男女で見れば男の子が733人、女の子が704人でほぼ同数です。男の子も女の子も幼稚園に通うことが普通になってきたと言えます。その中の46人が葵幼稚園に通う子どもになりますが、帯広幼童教育振興会の広告からも知ることができます。
 「双葉幼稚園」(明治44年創立)は100名、「帯広幼稚園」(昭和11年創立)は250名、「藤幼稚園」(昭和29年創立)は150名、「聖公会幼稚園」(昭和30年創立)は89名、「大谷幼稚園」(昭和31年創立)は120名、「大谷第二幼稚園」(昭和32年創立)は100名、これは新年度(昭和41年)に向けての募集人員です。残念ながら、葵幼稚園の名はこの広告にはありません。つまりまだ「帯広幼童教育振興会」の会員ではなかったのです。その理由は分かりませんが、創立年から見ても後発の葵幼稚園とは規模・歴史に大きな開きがあったということかもしれません。
 話は変わりますが、この年帯広市は2万食を一度に作れる学校給食調理場を稲田地域に完成させました。


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