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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野

第7楽章 ー昭和39年の子どもたちはー

 「近代子ども史年表」(昭和・平成編)<発行:河出書房新社>を開くと、昭和39年という年が子どもたちにとってどんな年であったかを教えてくれます。
 ●「おばけのQ太郎」スタート、大人気
 ●東京五輪で“東洋の魔女”など金メダル16個
 ●「オレについてこい」式根性教育が脚光
幼児教育に関係する動きを拾い出せば
 ○3月21日「文部省、基本的しつけに重点を置いた幼稚園の新教育発表」
 ○8月7日  「文部省、幼稚園教育の振興について通達」
        「人口1万人に1幼稚園を配置」など。
 ○12月  東京の有名幼稚園入園願書受付で2日間徹夜。警察出動。

 こんな記載をピックアップすることができます。

帯広大谷学園と映画館の広告
 昭和39年は、東京オリンピックで日本の女子バレーボールがソ連を破って優勝し、男子体操では日本チームの「ウルトラC」の連発に沸いた年でした。
 「帯広教育史」は、幼児教育に関する特別な記述はありませんが、私立渡辺女子高校が帯広北高校と校名を変更し、男女共学の高校になっています。帯広空港も児童会館もこの年がスタートでした。
 もう一つ、紹介したいのが昭和39年1月20日付けの十勝毎日新聞の広告です。図書館のマイクロフィルムからのコピーで不鮮明ですが、そこに当時の帯広の元気度を垣間見ることができます。当時、大谷短期大学は帯広市内にありましたが、付属の中学校があったのです。街には映画館が何と10館もありました。活き活きした街の雰囲気を容易に想像できます。
 小さな子どもたちも「駅前・まち中」は特別な時代だったのです。


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