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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第6楽章 ー葵幼稚舎誕生の裏側ー

 昭和39年3月の帯広市議会の話の続きです。
 吉村市長は、松井議員の質問にこう答えます。

答弁:「保育所につきましては、お説の通り幼児教育の立場からも、年に
    1つくらいずつ保育所が、あるいは幼稚園といったふうの幼児教育
    のための施設が必要であろうと考えます。ただ、いろいろ財政上の
    問題がございますが。本年は東地区に私立でございますが、現在
    協議中ですが、できればこれは実現したいと思っております。」
と。

 この議会でのやりとりは3月10日です。
 吉村市長のいう「東地区に私立幼稚園」の話は、同じ年の翌4月1日に開園する「葵幼稚舎」にまちがいありません。どこか答弁に違和感を覚えますが、言えることは「葵幼稚舎」の誕生は市の意向も受けてのものであったのです。

吉村博帯広市長の似顔絵
(画・菅野孝雄)
 ところで、昭和39年の帯広市内には6つ(帯広・大正・鉄南・藤花・緑が丘・南)の保育所がありました。一つの保育所に何人の子どもが通っていたかの数は、個別の資料がないの分かりません。しかし、6つの保育所の定員は全部で540人です。年間利用延人数は145,323人です。5年前の昭和34年は5つの保育所でしたが、総定員は450人、年間利用延人数は108,124人です。世の中が大きく変わってきていると利用実績が教えています。就学前の子ども対策は、帯広市だけの問題ではないということです。国中のどの町も同じ課題に頭を痛めていたのです。
 国も動きます。この現状に呼応するように「幼稚園教育要領」を改訂し、「第1次幼稚園教育振興計画」(昭和39年度〜昭和45年度)をつくり、幼稚園教育の普及、整備の推進を図ります。幼稚園教育費予算もされまで毎年1億円ずつの増額だったのが、昭和38年比で2億円の増と予算の面からも政策の充実に手を打っています。


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