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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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〒080-0022 帯広市西12条南17丁目3


学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第1楽章 ー葵の幼児教育事始めー

 現在の学校法人帯広葵学園は、二つの幼稚園(帯広の森幼稚園・つつじが丘幼稚園)と一つの保育園(音更緑陽台保育園)、そして一つの小規模保育所(012青い鳥保育園)を経営しています。平成27年4月1日現在、総園児数589名、総職員数100名です。
 さて、学校法人帯広葵学園(旧:帯広源照学園)の幼児教育事始は、昭和39年4月1日開園の「葵幼稚舎」です。場所は帯広市東5条南5丁目、明治37年6月に布教所として創立した浄土宗「大然寺」の境内です。初代園長は大高源照。大然寺の五代目住職でした。
 記録によれば、大高氏は前の赴任地である利尻島のお寺に奉職している時から幼児教育には強い関心があったようです。将来の幼稚園経営に夢馳せる26歳の大高氏は、その思いを胸に秘めながら昭和16年12月8日に帯広転居となります。ちなみにこの日は、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃した日です。
 この日から3年6か月、太平洋戦争の時代を日本は送ることになります。その中にあって大高氏は、様々な時代背景のなか幾度となく自らの夢実現に努力しますが、ようやくかなったのは終戦から20年近く過ぎた昭和39年4月でした。

大高源照氏の似顔絵
(画・菅野孝雄)
人間・大高源照を知る新聞記事があります。語る人はふみ夫人(当時45歳)です。

"そうそう、忘れていたのですがお父さんは若い時すごく短気でそれを承知で結婚したのですが、やはり短気は損ですよ。それからお父さんは読書が好きで、本を読み始めると夜明しする癖があります。自分の身体と相談しなくちゃ困るわ。子どもの教養にも熱心すぎるのも困りものです。子どもの青春も考えてやらないと。"
(昭和34年5月24日付 十勝毎日新聞から)


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